今回も引き続き春のサヨリパターンの釣り。
前回はホームを離れて開拓をした。
結果、ブローウィン165Fでなんとか良型の鱸を一匹キャッチする事ができた。
今回はそんな日の釣りを再現しに行ってきた。
再現と言っても仮に今回も釣れたとして何か確信的な事が生まれる訳ではない。
ただ、【釣れた】を【釣った】に少しづつ変えていく事ができる。
そしてまだ感覚的に【釣れた】に終わったとしても釣れたら釣れたで実績の一つとして残る訳で、それの積み重ねが自分の足で得た貴重な情報となる。
【釣れた】と【釣った】の定義は人それぞれで、それをどこで切り替えるかも自己判断であり何とも曖昧で意味のない判別のようだけど、それが大切であると思うし、それの反復がこの先には必ず生きてくる。
それを知っているから、今日も今日とて行ってみる。
相変わらず疲労困憊だけど。
まぁこの10年以上それの繰り返し。
ただただひたすらに独り駆け回ってきた。
今振り返れば、本当に私の釣りは【孤独】だなぁ…と思う。
私は人と競う事は好きでは無い。
けれど、なんだか自分と競い続けるような日々。
それはある意味では、競技的と言えるかもしれない。
私はそんな釣り人を【求道者】と表現している。
私自身そういう釣り人であり続けたいから、これからもさらに自分の道をひたすら進もうと思う訳で。
地に足つけてしっかりと。
急がずに…でも休まずに。
そんな訳で今日も今日とて誰もいないサーフへ。
前回と同じ時間に入ると、当然だが潮位の方は変わってくる。
だからと言って、サーフは地磯のように刻々と立ち位置を変える必要がある訳ではない。
ただ今回は前回に近い立ち位置にはサヨリの気配がなかった。
まぁ彼らも彼らの都合があるし、彼らはけっこう気分屋だからこんな事はよくある。
ライトを水面に照らして今すぐサヨリの位置を確認したい気持ちを抑えながら、歩いては投げを繰り返す。
投げては歩いていたら、気づけば隣接する地磯に近づいていた。
海苔が生えたシモリが点在するエリア。
耳を澄ませば…
ピチャ…ピチャ…
前回同様にボイルこそないけれど、サヨリが水面を割って逃げているような音がする。
ずっと背負ったままだった防水バッグを地磯にもたれかけた。
そう、ここに腰を据える事にした。
アプローチは今回もブローウィン165Fの巻きでいく事に。
着水後の巻き始めに時折サヨリにルアーが当たる。
でも、巻きだすと全くサヨリにはあたらない。
「よしよし、165Fはサヨリの少し下よね」
「ちょうどいいよ」
水面の変化をキャストで追う。
そして、巻く。
繰り返す事数投。
巻く手が急に止まる。
ドバババッ!
体も半分も出ていないエラ洗い。
ロッドに感じる首振りのストローク。
「お、いいサイズかも」
一気に寄せてズリ上げてみると…
前回に続き良いサイズ。
ただ、ここからが続かないのがしまなみの鱸釣り。
その後は反応がないまま納竿となった。
釣れた数こそ少ないけれど、今回もまた今後に生きる釣りとなったのは言うまでもない。